『インターステラー』クリストファー・ノーラン(2014)


評価:★★★★★

※ネタバレありだよ

素晴らしかった……ほんとに、ほんとに。
なんといっても映像。もうこれだけで★×5のレベルにあるんだが……ワームホールの3次元表現やブラックホールの影、エルゴ球の光、ブラックホールの朝夕力による巨大津波、グランドキャニオンよりも険しい氷の谷……それらをとてもハイレベルな技術で映像化している……これだけでも十分見に行く価値はある……

初めてIMAXを体験してきました。視聴に2000円も取られて(映画はファーストデイに行くことが多いので大抵1000円で見る)最初はちょっと不満だったけれども、5分で手のひら返すことになっちゃいましたね笑。
視界いっぱいのスクリーンがこんなに深く濃密な映画体験を与えてくれるなんて映画見て、宇宙酔いしちゃって笑、ぐったりしながら劇場出てきました。入場したときには気づかなかったけれど劇場も実はめちゃくちゃでかくてお客さんがぎっしり!そして、みんな同じようにぐったりしながら劇場を出て行ってました笑


・ノーランは「インターステラー」で何を伝えたかったのか
メメント』、『インセプション』そして『ダークナイト・トリロジー』監督クリストファー・ノーラン「真実と幻想」という点に毎度着目しています。『ダークナイト』では“正義と不正”、“善と悪”について象徴するようなキャラクターがそれぞれ登場し、人は真実よりも幻想を信じるということについて議論します。“光の騎士”ハービー・デントは不正に塗れるゴッサムシティを浄化する市民の希望でありながら、悪人トゥー・フェイスに身を落としてしまいます。しかしながら希望なくしては市民は絶望してしまうので、実際に街を救ったバットマンがその真実を隠します。また、『インセプション』ではコブが夢の中の今は亡き妻に“ここ”で一緒に永遠に暮らそうと幻想の世界へ招いてきますが、自分は自分の真実の中で生きたいと決別します。『インセプション』といえば印象的なラストシーンも“何が真実か?”を問いかけてきますよね。あの最後のシーンがあるかないかでこの映画の評価はがらりと変わってくるかもしれません。

今回の『インターステラー』にも嘘と真実が多分に含まれています。もっというなら“残酷な真実”と“すがりたい希望”でしょうか。
まず地球の次の移住先候補、主人公クーパーの前に大勢が既にワームホールの向こうへ旅立っていました。しかし、応答があるのは3カ所だけ。「3つもあるわ」と他の人は言いますが、この事実に各々がどれだけ希望を見ているかが分かります。
そして物語の主要人物はみんなそれぞれ嘘をついていきます。マン博士はもう一度地球に帰りたいために嘘をつき、教授は人類の希望を否定するのが怖くて嘘をつきます。
そこで主人公クーパーなのですが、彼が最も大事にしているのは彼の子供、特に娘です。彼は自分が宇宙に旅立つ前に娘に「行ってくる」と告げます。彼はこのときどういう気持ちだったのでしょうか?おそらく本気で帰ってくる気でいたのではないかと思います。ほんとに強く。彼は「これから地球を救うためにブラックホールの近くまで行ってくる。危険だけれども誰かがやらなくちゃいけない」なんて言いませんでした。娘には希望のみを残して。

クーパーは重力の影響で時間が速く進む惑星では1秒を無題するなとクルーを叱咤します。他のクルーと違いかなり神経質です。その後、ウラシマ効果(おお!トップをねらえ!!)で数十年分のビデオレターを見てそのあまりの容赦のない現実に涙します。そして最後、どうにもならなくなったときに彼は「この際時間は無視だ」と言います。このとき既に彼はあきらめていたのでしょうか。その結果として新たな希望が見つかるのですがなかなか皮肉なものです。

アメリア博士の星〜人類最後の希望〜
とても感動的で壮大なシーンが続いてそれだけで満足な気分になるのですが、気づく訳です。「ありゃ?地球の代替の惑星は?」と。ラストでクーパーはアメリア博士の星へ旅立ちますが、あれは新天地なのでしょうか?それとも……『インセプション』のような“倒れそうなコマ”と同じくアメリア博士の表情からは迎えがやがて来るだろうという希望とこの星はハズレだという絶望の両方の表情を読み取ることができます。

・コーン畑でつかまえて
この映画でとても好きなシーンがあるのですが、最初の方であったドローン飛行機を追いかけてクーパー親子がトウモロコシ畑をトラックで突っ切る場面です。クーパーはもともと優秀なパイロットであったのですが生きるために家族のために農場を経営しています。しかし、ドローン飛行機を見つけた瞬間、大事なトウモロコシたちをダメにしながら、ただただまっすぐ追いかけていきます。運転は息子、指向性アンテナを娘に持たせて自分はハッキングを行う。このシーンのクーパーは本当に楽しそうでとても二児の父親には見えないほど無邪気です。

このシーン、「不思議の海のナディア」のEDの映像とかぶるんですよね。このEDはとても好きで見るたびに泣けてしまいます。ジャンたちがフワフワと飛ぶ模型飛行機を追いかけて、ただそれだけを見つめて走っていく。その姿が夢に向かって手を飛ばそうとしているようで本当に美しく感じます。そして最後はようやく捕まえられそうだと思ったら飛行機は遥か彼方に飛んでいっちゃうんですよね。く〜〜〜〜。涙が出るほど美しいです。

インターステラー』ではドローンを追いかけて最後に見失しなった!と思った瞬間にコントロールできます。これも美しいですね。
クーパーは未来で戻ってきて結果「必ず戻ってくる」という約束を守りました。希望を“優しい嘘”で終わらせない強さを感じました。


眠いので寝ます!もっとノーランの宇宙ラブとか書きたいけれども!今日は!

『STAR WARS EPISODE4&5』 ダースベイダーお父さん


「お父さんにその隠しているもの(デススターの設計図)を渡しなさい」

久しぶりにスターウオーズを見てました。10年ぶりくらいかも。

EPISODE1〜6まで視聴済みなので複雑な家庭環境は把握しています。

するとお父さん(ダース・ベイダー)が可愛く見えて(!?)

娘に親の職場からとってきたものを返しなさいと迫るお父さん。
尋問すると言ってかなり怖めな拷問装置持ち出して、本当は使う気もなく(おそらく使わなかった)娘を問いただすお父さん。
重役会議では席にも座らない配慮をしながらも競争相手にはきっちり牽制(首絞め)を入れて出世レースに負けないよう頑張るお父さん。
娘を何かと処刑したがる上司をあの手この手で言いくるめるお父さん。
息子が大きく育ち嬉しさのあまり銀河中に探査ロボットをついついばら撒いちゃうお父さん。
娘には甘いが部下には厳しい。
ちょっと会わないうちに娘から男の影が感じられるようになって、困惑と焦りのあまり男爵との約束を反故しまくる親バカパパ。
……って、お前がレイアの男かよッ!!炭素冷凍にしてくれる!!!!!
息子が自分からやって来てくれた。その成長を確認しつつライトセーバーを撃ち合い満足げ。
娘は可愛がり息子には厳しくがスカイウォーカー流教育。フォースで四方から物を投げつける!立て!ルーク!おまえはそんなものか!
大丈夫!ルーク!手はまた生える!

息子に想像以上に嫌われてることを知って、流石に寝込みたくなるお父さん。しかし休暇は取れない。帝国の業務は自分の肩にかかっているからだ。「銀河は征服する」「家族サービスもする」「両方」やらなくちゃあならないってのが「シスの暗黒卿」のつらいところだな


目の前で娘が馬の骨とキスしてますもんね(^^;)このお父さんなら張り切って炭素冷凍するよね。うん……

エヴァQ 見たよ


今日も金曜ロードショーエヴァQ見てました

とりとめのない話をつらつらと書こうかなと
自分のために

序は2007、破は2009、Qは2012の作品ですね。
2007年は『天元突破グレンラガン』『ひぐらしのなく頃に』『らき☆すた』『ガンダム00
2009年は『涼宮ハルヒ(二期)』『東のエデン』『けいおん!』『とある科学の超電磁砲』『化物語
2012年は『Fate/Zero』『TARI TARI』『PSYCHO-PASS
なんてテレビアニメがあったりしましたね。こうしてみると時代性が見えて来るかなと思いましたが……わかんねえな笑

・序、破はループ路線だった?
「ループもの」という物語構造が2005〜2012くらいに流行ったのは記憶に新しいですね。上の例をみても「ひぐらし」やループで物議をかもした「ハルヒ」がちょうど序、破の時期にあります。この流行の視点で新エヴァを見てましたし破では明らかにそれっぽい台詞や演出があったりします。(カヲルくんの最後の台詞とか、新キャラ、マリとあった後にカセットテープのトラックが26(TV版の話数)を超えるとか)次回の「Q」というのはループ(O)から抜け出す(Q)からなんて言われたりしていたのも懐かしいです。

エヴァはフロントランナーでなければならない
エヴァ新劇場版の製作を発表した時に総監督の庵野さんは所信表明で「10年以上昔のタイトルをなぜ今更、とも思います。エヴァはもう古い、とも感じます。しかし、この12年間エヴァより新しいアニメはありませんでした。」と述べています。今度のエヴァは最先端でなくてはならないという強い自負心が感じられます。
最先端……「ループもの」という物語構造は当時最先端だった気がします。「ループもの」はループを抜ける瞬間と物語のテーマの結末をかぶせることで乗数的にドラマチックに見せる効果があります。また、「ループの過程」としてあらゆる設定、条件を肯定します。
エヴァほど二次創作が作られた作品は多くないでしょう。エヴァの二次創作では「シンジやレイたちが出逢い、深い関係を持つ」という共通項をもって、あらゆる世界が考えられました。憎しみ合って殺しあう世界、愛し合う世界、平和な学園生活を送る世界、戦い続ける世界、散々苛め抜かれる世界……ループものはその全てを肯定できます。『STEINS;GATE』的に言うと「通過した世界線」でしょうか。ループからの脱出のカタルシスはループの回数と密度で跳ね上がりますから。最後に「本家」がそういえば(言わないけれど笑)もう誰も反論できないでしょう。二次創作やあらゆる設定が準公式になることでエヴァは最先端かつ最高の作品になるのでは?という話です。きみまるさんの同人誌「RE-TAKE」はこういった話でしたね。

↑とんでもない傑作ですよ……アイデアだけでないこのエンディングはTV版に対する現時点で最高のアンサーだと思います。

・じゃあ「Q」はどうしちゃったの???
「ループもの」は「エヴァ」に非常にフィットした物語構造でした。しかし、Qが公開する2012年までには『エンドレスエイト(2007:アニメ)』『STEINS;GATE(2009:ゲーム)』『魔法少女まどか☆マギカ(2011:アニメ)』などといったループものの傑作たちがこぞって出てきます。特に『まどか』の盛り上がりはとてもすごかった。「社会現象」と言えたかもしれない。10年に一度のヒット作だった気がします。(大げさか?)かくして「ループもの」は広く浸透してしまいました。そして「次の物語」を求める声が上がりました。
エヴァをこのまま作っても素晴らしい作品になることは間違いなかったのですが、『まどか』に並ぶ「ループもの」の傑作……そう言われるだろうことはプライドが許さなかったのでしょうか。さらに先を目指して……「次の物語」「誰も想像しなかったエヴァ」を目指してスタッフは挑戦を行うことを決断したのだと思います。(2011年の東日本大震災も大きく影響しているようですが、こういう思いはあったのではないでしょうか)

「Q」……いろいろ荒いですよね……完成度という点ではやはり低いと思わざるを得ません。先ほどの「所信表明」では「最後に、我々の仕事はサービス業でもあります。当然ながら、エヴァンゲリオンを知らない人たちが触れやすいよう、劇場用映画として面白さを凝縮し、世界観を再構築し、誰もが楽しめるエンターテイメント映像を目指します。」とも述べているのですが「破」の最高のショーを見た後では空しく聞こえます。次回作もどういうオチをつけるのかは全く想像できません。しかし、劇場で(公開初日の初回公演で見た。気合入ってるウ)見てグッとガッツポーズとったのをとても覚えてます。庵野、挑戦に出たな!!!って笑。ああ、観客の度肝を抜くというのは大成功でしょうね。とりあえずそこの点に関しては大成功でした。

あの世界の構造がどうなっているのかは次回作まで分かりませんけれど(既にループを抜けた感はありますね)「Q」で「破」の未来の世界でやりたいことは少し見えた気がします。「Q」ではミサトさんたちも「戦ってる」んですよね。いやなにもこれまで戦わなかったわけではなくて最前線でエヴァに頼らずに戦っているんです。ミサトたちヴィレはエントリープラグのような艦橋に立ち、ヴンダーを操縦して敵を倒します。このときのクルーたちはミサトの提案に反対したりしてちゃんと自分自身で考えているし、ミサトもとても頼りがいがあるように指揮を執ってます。以前まではクルーがぶつぶつ言いながら命令通りに行動したりというのはよく見られましたし、ミサトも「エヴァは!??」とか「頼むわよ」というセリフが印象的でした。対してネルフサイド、ゲンドウたちはTV版では最後までゼーレと化かし合いを繰り広げていましたが、今回は引き返せない手を下します。いままでシンジ君に押し付けていた役回りを自分たちで行っている(という好意的解釈笑)と見てとれます。そこは選ばれた子供が必要なくなった世界。いや、世界を守る子供みたいなのが選ばれないように、悲劇が起こらないように成長した世界。かもしれません。シンジ君がもう戦わなくていい世界……レイの願いどおりの世界ですね。

・次回作は??
流石に次回で世界の秘密(ループの構造は明かされなくとも……少なくともこの世界の状況は)はシンジ君、知ることになるでしょう。しかしシンジが戦わなくていい世界です。そこでシンジ君が皆とともに戦う決意をすることになるでしょう。それまでに、そしてその後に何回もシンジ君は本当に戦うのか迫られるカタチになるかもです。シンジも、レイもアスカもミサトも、もしかしたらゲンドウたちも登場人物すべてが同じチームとして戦う。これって自己犠牲とかで戦うのではなくて、皆とともに自分の遺志で戦うということで、それによって独立宣言、「自分をもつ」ということにつながるんです。世界を一人で支えるのではなく、世界を支える一員になるということ。そのうえで世界を支えてる責任を持つこと。みんな同じ立場で同じ力と覚悟を持つならば苦しみや責任はシェアできますから。そのときこそもう一度「僕はここにいてもいいんだ!」って叫ぶことができるのではないでしょうか。


……にしても「Q」の皆はシンジ君に対して辛辣すぎる……これは何か舞台仕掛けがあるからと信じたい。



次回が気になります。

『ソードアート・オンライン2』 毎週の楽しみです


9話まで見ました。毎週楽しみに見ています。

ファントム・バレット』編はとても面白くて原作も一気読みしたのですが、シナリオが単純明快で、かつ、アクションシーンとしての見せ場が多いので(あとシノンとキリトが可愛い笑)アニメというメディアに非常に向いている気がします。
対して『アインクラッド』は非常にアニメ化しにくい話だと思うのですが(まだ未視聴)一期を乗り越えたスタッフなら二期はとても作りやすい、、、より遊び心を入れる余裕があるのではないかなとか思ったりします。

スター・ウォーズ』のジェダイの殺陣がとても好きなのでアニメは見て驚きました。キリトが・・・・・・ジェダイになった!!(歓喜)他にもシノンの対物ライフルの破壊力が説得力ある感じで(人が真っ二つ……ああなるんですね……)この映像化は大成功なのではないしょうか。まぁアクションとキリトちゃんが派手なのでシノンの内面についてもう少し深く掘り下げればなとは思いますけれど。でも、まあ仕方ないよね!沢城さん声のシノンの可愛いところをもっと見ていたいもん!

キリトは現実とヴァーチャルの両方の自分にうまく納得していますよね。彼にとっては両方の世界は地続き。対してシノンと現実の朝田詩乃は体格も言動も振る舞いも違って見えます。彼女にとっての理想と現実の違いかなと。そのジレンマが彼女の矛盾した言動を引き起こしているのかなと思ったりします。これはなにもシノンがだけが困ってるんじゃなくてキリトがこの時代に適応しているニュー・タイプだからだと思います。そういえば同じ川原さんの作品の『アクセル・ワールド』は皆ネットと現実を地続きで認識していたように思えますね。

『ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ』 現実とはヴァーチャルとは生きるとは


評価:★★★★★

毎度ですがこのブログは ネタバレ しています。
マザーズ・ロザリオ』は傑作なので是非ともまず原作を読んでほしいです!


SAOも7巻まで読みました。ライトノベルを7巻まで読んだのもかなり久しぶりですね。SAOは1巻が圧倒的に素晴らしくて、、、、そのあとも面白くて楽しみに読んだりアニメ観たりしていたのですけれど、でも、この『マザーズ・ロザリオ』はとてもグッときました。
まあ、シンプルな話でよくある陳腐な話と言われたらそうかもしれないです。少なくともサバイバルで生き残った少年とこの日本で人を殺してしまった少女が出会うという『ファントム・バレット』のオリジナリティには勝てないと思います。でもね、、理屈じゃないんだよなぁ(涙)アスナとユウキの最後の会話、号泣しながら読んでました。

「でも……でもね……ようやく、答えが……見つかった、気がするよ……。意味、なんて……なくても……生きてて、いいんだ……って……。だって……最後の、瞬間が、こんなにも……満たされて……いるんだから……。こんなに……たくさんの人に……囲まれて……大好きな人の、腕の中で……旅を、終えられるんだから…………」

p286

うううううっ、、、素晴らしい。


終末治療と仮想世界
スリーピングナイツの会話やキリトの言動を注意深く読んでいればユウキのおかれた状況はわりと早い段階から推測できると思います。そしてこのテーマは仮想世界で現実と同じように生きられる、そしてその技術が確立された初期の段階の時代を描いてるSAOではある意味当然扱われるべきテーマなような気がします。

以前に書いた記事に人生の終え方について書いた記事がありました。

もし自分がガンになって「あともって半年です」と言われたらどうしますか?

絶望するでしょう。間違いなく。しかし、その絶望を超えて決断しなければいけなくなるときがあります。それは残りの人生を何にどう使うか?です。僕の知っている選択肢はこの二つです。

1.望みをもって抗ガン剤などで治療を施し、病気と闘う。

2.最善の治療を断って、残りの人生をできるだけ好きなように生きる。

『最高の人生の見つけ方』 2007年 - Second Wind Blue ~セカンドウインドブルー~



『最高の人生の見つけ方』 2007年 - Second Wind Blue ~セカンドウインドブルー~

2の生き方を選んでいけたらなというのが私の思いです。それは1の生き方が激しい苦痛を伴う非常に厳しい戦いを強いられるからです。私たちの現実は1つだけなのですから向き合い方は決断しなければなりません。
しかし、ヴァーチャルの世界に五感をフルダイブできる世界では病気と闘いながらもう一つの現実で走ったり美味しいご飯を食べたり恋をしたり友達を作ったりできる可能性もあるのです。
そんな世界がはやくきたらいいなあと思う@悠弥です。昔『serial experiments lain』を見てるときそんなこと思ってましたね。

しかし、そんなQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の究極みたいな世界でも別れは訪れるし、人は涙するんですよね。命は変わらず尊いのだと。
ユウキは本当に、本当に幸せだったのではないでしょうか。

・こちらの世界とあちらの世界
SAOの1巻、そしてSAOの主題は「仮想の世界は現実になりえるか」だと認識しています。キリトやアスナたちがネットゲームに閉じ込められてしまい、そしてそこで死ねば本当に死ぬ。そこで永遠に暮らせと強制させられてしまいます。そういった特殊な環境だとそこが現実にならざるを得ない。ゲームであっても遊びではない(by茅場晶彦)ということです。『アインクラッド』はだからキリトが病院で目覚めたときに閉じ込められた時と同じような恐怖がありました。

アインクラッド』のキリトたちは望まざるサバイバルを強制させられました。しかし、『マザーズ・ロザリオ』ではアスナは自由にログアウトできるプレイヤーであるのに対しユウキはヴァーチャルな世界がほぼ全てのプレイヤーです。一方は選択できるのに対しもう一方は選択が事実上できない。悲劇はこういう差から生まれるものですが……ユウキの幸運は見つけた相手が過去に「閉じ込められた」経験を持っていてユイというヴァーチャルでしか生きられない娘(凄い愛情だよ!!)を持っているアスナであったという点です。本当に奇跡みたいなものです。ヴァーチャルの世界とリアルワールドがどんどんシームレスになっていくのを感じました。現国の先生がデバイスを通してヴァーチャル世界から授業を受けているユウキに音読をさせたの、同じクラスに居合わせた人たちは一生忘れないだろうな……



つらつらと書いてしまった。他にはアスナの視点で話が進んでいたのでアスナの人物像がよりクリアになったこととか。シノンでてこなかったなあ(泣)とか思いました笑

ひさびさにエヴァ破みてたよー


ヱヴァンゲリヲン:破が金曜ロードショーでやっていたのでおバカなことをtwitterで実況しながら見ていました。

劇場には3回いったなぁ……なつかしい。とても興奮して新宿バルトを出てきたのを今でも覚えています。
アスカは可愛いし、レイはポカポカしてるし、カヲルくんは半裸だったり空から降ってきたりで相変わらずカヲルくんだし、シンジくんはシンジさんだし……笑

今回見直してアスカのミサトへの告白が何故か印象に残りました。

“式波”アスカは“惣流”とはかなり違う子なんだねと改めて思ったり。
惣流は加地さんにべとべとで、人の話に積極的に入っていくたいぷだよねと。あとかなりのプライドを持ってらっしゃる。
対して式波は一人で弁当食べてるしケータイゲームとかで遊んでいるし、人のために料理もする。

エヴァ」の二次創作ってのはとても膨大で僕自身もかなりの作品を楽しんできただけにエヴァの登場人物って何をさせても違和感ないんですよね。アスカがツンデレをやってもボッチでもツッコミをやってもお姉さんをやっても何でもそれなりに似合う。

でも改めて考えると惣流がケータイゲームなんて持ち歩くわけないだろうという気はしてきますね。惣流はとても孤独を抱えたキャラでしたがそれを必死に隠してた。

式波はエヴァのテストパイロットに選ばれた後プラグスーツに着替えながらミサトと電話します。

ミサト
「どうしたのアスカ。本番前に」


アスカ
「なんだかミサトと二人で話がしたくってさ」


ミサト
「そう。今日のこと改めて御礼を言うわ。
ありがとう」


アスカ
「礼はいいわ。愚民を助けるのはエリートの義務ってだけよ

もともと皆で食事ってのが苦手だし

他人と合わせて楽しいフリをするのも疲れるし

他人の幸せを見るのがイヤだったし

私はエヴァに乗れれば良かったんだし

もともと一人が好きなんだし。馴れ合いの友達もいらなかったし。私をちゃんと見てくれる人は初めからいないし。戦績のトップスコアさえあればネルフで一人でも食べていけるしね

でも最近、他人といるのもいいなって思うこともあったんだ。私には似合わないけど」


ミサト
「そんなことないわよ。アスカは優しいから」


アスカ
「こんな話、ミサトが初めて。なんだか楽になったわ。誰かと話すって心地いいのね。知らなかった」


ミサト
「この世界は貴女の知らない面白いことで満ち満ちているわよ。楽しみなさい」


アスカ
「うん、そうね。ありがとう

こんな話ができる相手ができてよかったねアスカ……とうるっときました。

あとミサトもアスカも「ありがとう」ってちゃんというんですよね。
破はこういう何げないポジティブな行動の積み重ねがあって、あのラストを迎えられたのではないかなと思います。







所でさ。赤いのはいいんだけど、このテスト用プラグスーツって見えすぎじゃない?」


…この顔も好きです笑